神主ブログ

 

こんにちは、
東林寺天満宮の神主です。

日々の徒然を神主の立場として

感じるままに綴って参りたいと思います。

どうぞよろしくお願いします。


趣味:読書

特技:水泳

好きな言葉:

清貧、誠実、清潔



8月

どのような困難な境遇であっても、

そこでしかない重要な気づきや発見がございます。

 

そういったことを大切にして日々を過ごすことができれば、

人生はより幸福なものになると存じております。

 

本日はようこそお参り下さいました。 

 

幸せと感謝

 

幸せを感じる場所


すべてが繋がっていて

すべてが一つであることに

気付くことが出来る場所

 

 

喜びや悲しみ、苛立ち、信念、

それらを超えたところに感謝がある

人はみな、迷いの中に生きている

人はどんなに立派な人であろうと、完全な人間はいません。人はみな、迷いのある者として生まれてきます。

 

しかも人は、この世に生まれたら、最後は必ず死ぬことになります。

 

ひたすら働いて、他人に迷惑をかけないように真面目に暮らしてきた人も、老いとともに体力がなくなり病気がちになり、他人の世話にならないと命を保てなくなります。

 

苦しい思いをしながら得た数多くの経験や、一所懸命に勉強してようやく身につけた知識や知恵も、息が絶えると同時に全て消え失せてしまいます。

 

どんなに天才でも、徳の高い人でも、これだけはまぬがれません。生きるということは、つまり死に向かうことなのです。

 

 

私は幼い頃、自分のいるこの世界が不思議でなりませんでした。空の果て、宇宙の果てはどうなっているのだろう、人間はなぜ生まれてなぜ死ぬのだろう、死後の世界はあるのだろうかなど。

 

このような疑問は、大人になったからといって失ってしまうものではありません。ただ、大人になると日々の慌ただしい生活のなかで、忘れてしまうだけなのです。

 

7月

 七月は夏に向けて自然の生命力がみなぎる時です。

 

私たちが口にする食べ物は、

元を辿ると、一粒のタネから生まれたものです。

 

タネには自らの生命を未来につないでいこうとする力が秘められ、

様々な環境の変化にも適応しながら、

自らを成長させていきます。

 

私たちの先祖はその力と共に繁栄し、

豊かな文化を育んできました。

 

自然を尊び生きていくことが、

私たちに最も大切な事であると存じております。

 

本日はようこそお参りくださいました。

 

 

 

六月

 

時代の流れの中で目まぐるしく生きている私たちですが、

花々は遠い昔から変わることのない美しさを見せてくれます。

 

「念ずれば花開く」という言葉がございますが、

花は一瞬にして咲くのではなく、大地から養分を吸収し、

葉を繁らせ成長し、その上で真っすぐ一筋に花を咲かせます。

 

真っすぐ一筋に咲く花のように私も生きていきたいと

強く念じております。

 

本日はようこそお参りくださいました。

 

 

誓い

 

清らかな朝の風のように、

生きづくものを目覚めさせ、

 

輝ける夕陽より仰ぎ見る大神様のお姿は、

私に生きる力を授けるものの全てであります。

 

我が身に受けたものは全て、

大神様より与えられた恩恵でありますので、

 

我が身を捧げ、

お返しする気持ちこそあリますが、

そこに見返りを求める思いは決してございません。

 

 

4月

 

どれほど多くの道があろうと、自分自身で歩める道は一つだけです。

どのような境遇にさらされようと負けずに花を咲かせる桜の姿からは、

一つの道の歩み方を教えられているようです。

 

この桜や自然の営みに心を寄せて、

心身穏やかに日々をお過ごし頂ければと存じております。
本日はようこそお参り下さいました。

 

 

 

11月

朝夕の冷え込みに、季節の移ろいを実感しております。

 

この時期、木々は内部の養分を枝先から根元に戻し、葉を落葉させます。

木の樹形を変えるような剪定はこの時期にすると木への負担も少なく、

春にはより美しく成長することができるそうです。

 

私たちも、この時期には生活の中に一息つく時間を作り、

これまでのあり方をじっくりと振り返ることが、

これから先の日々をより良い方向に導くために重要なことだと存じております。

 

昼夜の寒暖差に体調を崩されませんよう、くれぐれもご自愛されまして日々をお過ごしください。

本日はようこそお参り下さいました。

坂本八幡宮と新元号「令和」

かつて太宰府には、7世紀後半から12世紀前半にかけて地方最大の役所「大宰府」が置かれ、西海道(九州一体)の統治、対外交流の窓口、軍事防衛の拠点という重要な役割を担っていました。

 

大宰府の長官は大宰帥(だざいのそち)と呼ばれ、大伴旅人は727年ごろ大宰府へ赴任しました。大伴旅人は政治家としてだけでなく、歌人としても才を発揮した人物で、赴任した大宰府においても文人たちと交わり、山上憶良(やまのうえのおくら)らと共に優れた歌を残しました。後に「筑紫万葉歌壇」と呼ばれる華やかな万葉文化が、大宰府の地に花開いたのです。

 

天平2年(730年)正月13日、大伴旅人は自身の邸宅に大宰府や九州諸国の役人らを招いて宴を開催しました。当時、中国から渡来した大変高貴な花であった梅をテーマに歌を詠んだことから「梅花の宴」と呼ばれています。今回、元号「令和」の典拠となった文言は、この「梅花の宴」でよまれた32首の歌の序文になります。

新元号「令和」ゆかりの地 太宰府

新元号「令和」について

平成31年4月1日、日本政府は新たな元号を「令和(れいわ)」と決定しました。

天皇陛下即位に遇わせ5月1日から使用される「令和」は、645年の「大化」から数えて248番目の元号となります。

 

「令和」の典拠は、1200年余り前に編纂された日本最古の歌集『万葉集(よろずのことのはあつめ)』に収められた「梅花の歌三十二首 序文」にある

 

初春の令月にして(しょしゅんのれいげつにして)、

気淑く風和ぎ(きよく かぜやわらぎ)、

梅は鏡前の粉を披き(うめは きょうぜんのこをひらき)、

蘭は珮後の香を薫ず(らんは はいごのこうをくんず)。

 

の文言を引用したもので、「人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つ」という意味が込められた元号となっております。

 

太宰府市のコメント(要約)

4月1日に発表があり、新元号が「令和」と決まりました。その典拠は役300年前に、ここ太宰府の地で行われた「梅花の宴」を記した、『万葉集』「梅花の歌」32首の序文にあることが発表されたところです。このことは、新しい御代の始まりの慶びに加えて、太宰府市にとって大変光栄なことであり、地元市民をあげて喜んでおります。この「梅花の宴」を主催したのは、万葉集の撰者・大伴家持の父であり、大納言も歴任した、奈良時代はじめの政治家として有名な大伴旅人です。彼は、神亀四(727)年頃、大宰府の長官(大宰帥)として赴任し、天平二(730)年正月十三日に、大宰府の役所が管轄した西海道の官人たちを、自ら住まう邸宅に招き、この宴を開きました。新しい御代が、「令月」の如く清新で「和(やわらぐ)」時代となることを祈念致します。

 

 

到底計り知れない

 

今日も朝日に照らされて

新しい一日が始まる

 

今日も夕日に照らされて

一日の行いを省みる

 

やりきれない気持ちで終わる一日

満たされた気持ちで終わる一日

 

この身体では

到底計り知れない

 

地球を

宇宙を

心で感じ

魂でつながる

 

 

六根清浄の大祓

天照皇太神の宣はく

(あまてらしますすめおおみかみ の のたまはく)

 

人は則ち天下の神物なり

(ひとはすなわち あめがした の みたまものなり) 

 

須らく掌る静謐心は則神明の本主たり

(すべからくしづまることをつかさどる こころは すなわち かみと かみとの もとのあるじたり)

 

心神を傷ましむること莫れ 是の故に

(わがたましいをいたましることなかれ このゆえに)

 

目に諸の不浄を見て 心に諸の不浄を見ず

(めにもろもろの ふじょうをみて こころにもろもろの ふじょうをみず) 

 

耳に諸の不浄を聞きて 心に諸の不浄を聞かず

(みみにもろもろのふじょうをききて こころにもろもろのふじょうをきかず) 

 

鼻に諸の不浄を嗅ぎて 心に諸の不浄を嗅がず

(はなにもろもろのふじょうをかぎて こころにもろもろのふじょうをかがず) 

 

口に諸の不浄を言いて 心に諸の不浄を言わず

(くちにもろもろのふじょうをいいて こころにもろもろのふじょうをいわず) 

 

身に諸の不浄を触れて 心に諸の不浄を触れず

(みにもろもろのふじょうをふれて こころにもろもろのふじょうをふれず) 

 

意に諸の不浄を思ひて 心に諸の不浄を想はず

(こころにもろもろのふじょうをおもひて こころにもろもろのふじょうをおもはず) 

 

此の時に清く潔き偈あり

(このときに きよく いさぎよき ことあり)

 

諸の法は影と像の如し 清く潔ければ

(もろもろののりは かげとかたちのごとし きよくきよければ)

 

仮にも穢るること無し 説を取らば得べからず

(かりにもけがるることなし ことをとらば うべからず) 

 

皆花よりぞ木実とは生る 我が身は則ち

(みなはなよりぞこのみとはなる わがみはすなわち)

 

六根清浄なり

(ろくこんしょうじょうなり) 

 

六根清浄なるが故に五臓の神君安寧なり

(ろくこんしょうじょうなるがゆえに ごぞうのしんくんあんねいなり) 

 

五臓の神君安寧なるが故に天地の神と同根なり

(ごぞうのしんくんあんねいなるがゆえに てんちのかみとどうこんなり) 

 

天地の神と同根なるが故に万物の霊と同体なり

(てんちのかみとどうこんなるがゆえに ばんぶつのれいとどうたいなり) 

 

万物の霊と同体なるが故に

(ばんぶつのれいとどうたいなるがゆえに) 

 

為す所の願いとして成就せずといふことなし

(なすところのねがいとして じょうじゅせずということなし)

 

無上霊宝 神道加持

(むじょうれいほう しんどうかじ)

四月

 

日々、誰かからの恩によって生かされていると感じる今日この頃です。

それは人からの恩であったり、自然からの恩であったり様々だと思います。

 

彼の地が私を呼んでいる、

そんなことを何気ない生活の中で

はっと感じさせられることがあります。

 

身土不二という言葉が表すように、

大地と私たちは一体であるということを強く意識すれば、

私たちは大自然のように強く偉大に生きられるのかもしれません。

 

本日はようこそお参り下さいました。

 

 

Kami is the shine.

Every Shinto Shrine, there is the mirror on the central of shrine.

It is the shimble of the Kami.

 

Kami is the shine like the sun. All plants want light for growth.

It is the same for us.

Rising sun and sunset are purifying us, and give the power to live.

 

三月

冬の寒さも落ち着き、春の兆しを感じるこの頃です。

この時期、木々は根元に戻していた養分を再び枝先に巡らし、新緑の葉を茂らせます。

皆様方におかれましては、それらの若葉から、みなぎる英気を頂かれまして、

日々健やかにお過ごしいただければと存じております。

 

当たり前の事ですが、自然と共に日々地道に生きることが、とても大切なことだと感じております。

日々食事を作って下さる人、日々掃除をしてくださる人、

そういった人たちに感謝とお礼を込めて、私自身の勤めにいそしんで行きたいと思います。

 

本日はようこそお参り下さいました。

 

与えた恩、受けた恩

 

与えた恩は水に流し

受けた恩は石に刻む

正月

皆様、新年明けましておめでとうございます。

 

只今、御神前におきまして、皆様方の願意ののり、

神様にご報告し、また御祈念を致した次第でございます。

 

こちら、東林寺天満宮、また全国の神社でも同じではありますが、

社殿正面の一番奥に御神体の鏡が置かれております。

 

この鏡とはどういったものかとお考え頂ければよろしいかと申しますと、

神様とは光のような存在である、とお考え頂ければよろしいかと思います。

 

朝日でしたり、夕日でしたり、自然の光を浴びることによって

心が清められ、体に力がみなぎってくることと思います。

 

そういった自然の光から、神様のお力を頂かれまして、

ご先祖様のお守りのもと、皆様方におかれましては、

災いなく晴れやかな一年をお過ごしされますことをご祈念致しております。

 

本日はようこそお参り下さいました。

 

 

十二月

今年も残すところ1か月となりました。

「歳月人を待たず」という言葉がありますが、日々繰り返す朝日の輝きや、

自然の営みは、遠い昔から変わることはありません。

この自然の営みに感謝をし、祈りを捧げることが最も大切なことだと存じております。

 

これより先も、神様とご先祖様のお守りのもと、

災いなく、晴れやかな一年を迎えられますよう

ご祈念を致しております。

本日はようこそお参り下さいました。

正月事始め

「正月事始め」とは12月13日のことです。


煤払い(すすはらい) や餅つきなど、この日から本格的に正月を迎える準備をします。煤払い(すすはらい)は単なる大掃除ではなく、年神様を迎えるための神聖な行事として行います。


旧暦の12月13日は、二十八宿の鬼宿日(きしゅくにち)で、婚礼以外ならすべてのことが吉のめでたい日とされています。新暦になっても日時は変わらず、12月13日が事始めとして伝わっています。
昔は「松迎え」といって、門松やお雑煮を炊くための薪に必要な木を恵方の山へ取りに行く日でもありました。


・この日から正月の準備を始めます。
・煤払い(すすはらい)は、年神様を迎える神聖なものですので、まず神棚や仏壇の掃除をしましょう。

七五三の由来

 

七五三とは、数え年で、男の子は5歳(地方によっては3歳も)、女の子は3歳と7歳に、晴れ着を着て神社・氏神に参拝して、その年まで無事成長したことを感謝し、これから将来の幸福と長寿をお祈りする行事です。

もともとは宮中や公家の行事でしたが、江戸時代には一般的に広く行われるようになりました。

 

3歳の髪置き(かみおき)の儀、5歳の袴着(はかまぎ)の儀、7歳の帯解き(おびとき)の儀の儀式が由来となっています。


11月15日に祝うことになったのは、江戸時代の五代将軍徳川綱吉が、子である徳松の祝いを天和元年11月15日に行ったことからとされています。また、旧歴のこの日が二十八宿の鬼宿日(きしゅくにち)にあたり、婚礼以外は何事の祝い事にも吉とされていることに加え、11月は秋の実りを神に感謝する月でしたので、その月の満月にあたる15日に、氏神に収穫の感謝すると共に子供の成長の感謝・祈願をしたものと思われます。
七・五・三はいずれも陽数で、縁起の良い数字とされています。

 

 

――七五三の正式な装い
男の子
 紋付きの羽織に袴
3才の女の子
 肩揚げをした着物に帯を結ばず、被布(ひふ)というベストのような羽織
7才の女の子
 肩揚げ、おはしょりや腰あげをした友禅模様の絵羽つけや総柄の友禅模様の着物に丸帯を結びます。
※最近はレンタルされる方が多いようです。洋服でも構いません。

 

 

――髪置き(かみおき)の儀
もう赤ん坊ではないという意味で「櫛置き」ともいいます。
平安時代は、男女とも3歳までは髪を剃り、3歳の誕生日になって初めて髪を伸ばす風習がありました。
女の子も剃っていたんですね。ちょっと驚きですが、乳児の頃に髪を剃ることで、やがて健やかな髪が生えてくると信じられていたからです。
髪置きの儀は、綿白髪を頭にかぶせ頂に白粉(おしろい)をつけ、くしで左右にすいて祝う儀式で、髪が白くなるまで長生きするようにという願いが込められています。

 

――袴着(はかまぎ)の儀
5歳になった男の子はその年の11月15日に初めて袴をはき、碁盤の上で吉方を向いて立たせました。
男の子だけの儀式となったのは、江戸時代からです。


――帯解き(おびとき)の儀
女の子は7歳になると、それまでの紐付きの着物にかわって本裁ちの着物を着、丸帯を締めました。これを紐解き・帯解きなどといいました。この日からは一人で帯を結べるようになり、一人前の人間として社会に認めらるけじめの儀式です。

 


――千歳飴
江戸時代、七兵衛という浅草の飴売りが、長生きするようにと縁起をかついで 「千年飴」と名づけて売ったのが始まりといわれています。昔も今もネーミングはベストセラーの大切な要因ですね。その他にも、赤飯などを炊いてお祝いします。 

 

http://koyomigyouji.com/nenchugyouji-753.htm

 

幸せとは何か―海外移住した富裕層が直面する不幸

 

以下、『海外移住した超富裕層が不幸にあえぐワケ』

(https://president.jp/articles/-/26650)より

 

 ----------------------------------------------------

 

 

いくら金があっても日本に帰れない

 

資産5億円以上の「超富裕層」のなかには、税逃れのため海外に移住し、悠々自適の生活を送る人たちがいる。しかし、彼らの一部は幸せを享受できず、「日本に帰りたい」とこぼす者もいるという。なぜなのか。実名ノンフィクション『プライベートバンカー 完結版 節税攻防都市』(講談社プラスα文庫)で、超富裕層の実態を描いた清武英利氏に聞いた――。

 

超富裕層は真っ先にシンガポールを目指す

――超富裕層の資金を本人にかわって運用する「プライベートバンカー」。本書は、そんなプライベートバンカーとして、元野村証券のトップセールスマンからシンガポール銀行に転職した杉山智一氏の悪戦苦闘を中心に描かれた、実名ノンフィクションの完結版です。【清武】本書は、「2つの軸」が貫いています。1つは、大企業を飛び出した人間の成長物語です。

 

杉山さんは、野村証券から三井住友銀行、そして外資系銀行と転職を重ねました。野村証券でも三井住友銀行でも優秀な成績をおさめていたわけで、そのまま頑張っていれば少なくとも支店長にまで昇進していたでしょう。その人生だって十分魅力的なはずなのに、あえてチャレンジして、異国の地に身を投じた。
たしかに、トップセールスを記録したとはいえ、仕事に疑問を持って会社を離れた杉山さんは、日本的な企業文化から判断すれば、出世の王道からそれている。でも、作家としての私は、トップランナーよりも、抗う人生のほうに惹かれてしまう。
彼はいわばレールから外れた冒険物語の主人公なんです。そして成長の舞台となる、シンガポールという土地がまた興味深い。

 

オフショア、つまり外国人に対して、租税環境を優遇している国や地域は、マカオや香港などいくつかあります。中でも、日本の超富裕層が自国の税制から逃れるために向かうオフショアの代表格が、シンガポールでした。そこで生きる超富裕層の実態もまた、本書のもう1つの軸です。

 

 

 

――顧客の資産は30億円以上
バンカーの激烈な仕事ぶりはもちろん、本物の大金持ちの人生、具体的な資産運用や相続税対策、そして税逃れを取り締まろうとする国税庁の暗闘……読みどころ満載の1冊です。
【清武】取材が終盤に差し掛かった当時は、パナマ文書の問題が世間を騒がせており、資産家や大企業の税逃れに注目が集まっていました。では、やり玉に上がっている超富裕層とはどんな人たちなのか。その疑問を知っているのが、彼らの資産を実際に運用するプライベートバンカーだったわけです。まず確認しておくと、富裕層と呼ばれるのは、不動産などを除いた資産を1億円以上保有する人たち。対して、超富裕層とは5億円以上の金融資産を持っている人たちのことを指します。

 

ただし、プライベートバンカーが相手にする超富裕層とは、30億から50億円以上の資産を持っている人がほとんど。
杉山さんのような外資系銀行のジャパンデスクで働く人、つまり日本人向けのプライベートバンカーはまさに日本の超大金持ちの現実を知っているんです。

 

 

超富裕層は「幸せ」ではない?
超富裕層といっても、もちろんいろんな人がいます。シンガポールの永住権を得て日本の重い相続税を回避するため、莫大な資産を持ったまま何をするでもなく悠々自適に日々を過ごす人。はたまた数百億の資産を作って美しい妻と異国に移住した若きIT長者……。一生遊んで暮らしてもお釣りが数十億円も来るような富を持っている人を遠目で見て、うらやましいとため息を漏らす人もいるかもしれません。そんな人たちの生き方も描いたわけですが、しかし先に結論をいうと、彼らの多くは、どうも幸せそうには見えない。

 

 

 

――なぜ「幸せそうに見えない」のでしょうか。
【清武】少なからぬ人々が行き着くのが「継承」の問題です。つまり、いかに子どもたちに資産を残すのか、事業を継がせるのか。最後は家族の問題になるわけですが、そこに問題を抱えている人が多いんです。

 

「5年ルール」が「10年ルール」に
例えば、相続税。日本の相続税は最高税率55%と高いので、シンガポールなど税率の低い国で相続したい。
しかし、日本での納税を避けるためには、「5年ルール」をクリアする必要がありました。当然のことですが、家族ともども海外に5年以上居住して永住権を獲得しなければ、日本の税制からは逃れられないのです。

さらに年の半分以上を過ごさなければ居住と認められない暗黙の「183日ルール」もある。するとどうなるのか。5年間ただただ異国の地で時が経つのを待ち続ける生活、慣れない暮らしを強いられる。そのうちに家族のほうが耐えられなくて帰国してしまったり、夫婦仲や親子関係に問題が起こったりするんです。しかも、そのルールはいつ変わるかわからないわけで、実際に昨年(2017年)には5年ルールが「10年ルール」に変更になりました。「アチャー」と頭を抱えた人は多い。税逃れを見過ごすほど、国は優しくはありません。

税逃れに対抗する仕組みや制度がどんどん厳しくなっているという点でも、今は過渡期といえます。
さらに、本書で紹介した元病院長の中田七海氏のように、血縁を断って生きようとした結果、頼りのプライベートバンカーによって犯罪に巻き込まれる人も出てきます。

 

 


「やりたいことがない」のは不幸
――本書の「追跡章」でさらに詳しく語られるところでもありますね。
【清武】言ってしまえば、「上がりの人々」と言われる彼らには、真にやりたいことがもうないんです。私たちが楽しいと感じるのは、仕事を持ち、家族や友人を持って、「新しい仕事を成功させたい」「マイホームが欲しい」など、夢を実現させたいと考え、行動している時ではありませんか。
しかし、超富裕層で守りに入った人々は仕事も成功し、カネで解決できることはなんでもできてしまう。やりたいことがないのは、不幸ですよね。 

 

かつて日本でも「最高の人生の見つけ方」という映画が話題になり、死ぬまでにやるべきことを列挙した「バケット・リスト」が注目されました。夢を描いて、ひとつずつ実現することが人生の旅だ。あなたにそのリストはありますか、と映画は問いかけている。もちろん、超富裕層にもその問いは投げかけられている。
この映画では、最後に残ったリストの上位に「家族の幸せ」がある。富や税のために異国に渡り、そこで家族に逃げられてしまっては何のために生きているのか、と。

 

そして、取材して痛感するのが、どれだけカネを得ようが、「食べるものはさほど変わらない」ということです。

 

 

 

――超富裕層だってメザシと納豆の飯がいい
シンガポールには、日本食が手に入るスーパーの「明治屋」があり、駐在員はそこでパックの寿司や刺身、それに日本のビールを買って飲む夕食を楽しみの一つとしています。明治屋には超富裕層もやってきてメザシと納豆を買っていく。日本人としてDNAに刻まれた食の好みはきっと同じなんですよ。

 

日本人として生まれたのであれば、日本の空気や食の恋しさからは逃れられないということでしょうか。
【清武】ええ。そして、先ほどバケット・リストの話をしましたが、実は当人も気づいていない、「裏の1位」があります。故郷の土に眠りたい。畳の上で死にたい。つまり「日本で死にたい」ということです。
年をとって病気がちになれば日本の高度な医療を受けたくなるし、大事な人の死に立ち会えないことも増える。死が現実的になった時に、自分の死に方が脳裏をよぎるのではないでしょうか。

 

 

超富裕層でも、行き着くところは「普通の幸せ」なのかもしれません。
本書で彼らの人生を追って気づいたことは、大金持ちでも幸せとは限らない、いえ、大金持ちだからこそ、かなえることが難しい幸せがある――ということなのです。

 

 

----------------------------------------------------

清武英利(きよたけ・ひでとし)
ノンフィクション作家。1950年宮崎県生まれ。立命館大学経済学部卒業後、75年に読売新聞社入社。青森支局を振り出しに、社会部記者として、警視庁、国税庁などを担当。中部本社(現中部支社)社会部長、東京本社編集委員、運動部長を経て、2004年8月より読売巨人軍球団代表兼編成本部長。11年11月、専務取締役球団代表兼GM・編成本部長・オーナー代行を解任され、係争に。現在はノンフィクション作家として活動。『しんがり』(講談社ノンフィクション賞受賞)『石つぶて』(大宅壮一ノンフィクション賞受賞)など著書多数。

 

 

11月12日

 

天に光さえあれば他に何もいらない
そんな風に生きていきたい

 

敬神生活の綱領

敬神生活の綱領

 

神道は天地悠久の大道であって、崇高なる精神を培ひ、太平を開くの基(もとい)である。

神慮を畏み祖訓をつぎ、いよいよ道の精華を発揮し、人類の福祉を増進するは、

使命を達成する所以(ゆえん)である。

 

ここにこの綱領をかがげて向ふところを明らかにし、

実践につとめて以て大道を宣揚することを期する。

 

 

一、神の恵みと祖先の恩とに感謝し、明き清きまことを以て祭祀にいそしむこと

一、世のため人のために奉仕し、神のみこともちとして世をつくり固め成すこと

一、大御心をいただきてむつび和らぎ、国の隆昌と世界の共存共栄とを祈ること

 

 

 

食前感謝

 

たなつもの 

百(もも)の木草(きぐさ)も 天照(あまてら)す

 日の大神の めぐみえてこそ

『いただきます』

 

 

 

 

食後感謝

 

朝よひに 物くふごとに 豊受(とようけ)の 

神のめぐみを 思へ世の人

『ごちそうさまでした』

9月の講和

 植物は、太陽の光を求めて成長していきますが、

私たち人も本質的には植物と同様です。

 

今月、9月20日から26日まで、秋の彼岸期間ですが、

彼岸とは、日願(ひがん)、太陽に願う日の意味があり、

彼岸の中日である秋分の日には、太陽が真東から昇り、真西に沈みます。

 

この期間は、先祖の魂と同様に太陽を祀る重要な意味があり、

「天に願いを通す」神聖(申請)な期間でもあります。

 

これより先も、皆様方が神様とご祖先の守護の下、晴れやかな日々を過ごされます様、

ご祈念を致しております。

 

本日はようこそお参り下さいました。

 

 

  

朝顔


朝顔が上へ上へと

登っていく。

 

登った先には夏の空。

私もあんな風に登っていきたい。

生命の根っこ


天地同根、万物一体


生命の根っこはみんな同じ。


生き物が一体となって


宇宙の今を生きている。

命はなぜ宿るのか

誰しもが

宇宙の

神の

法則により

生き死にを

くりかえす。

 

時間の流れがあるようで

まるでない

前世の頃に見た朝日の輝きを

夕日の輝きを

今日も見て

祈り感謝する。

 

くりかえす転生の中で

どれだけあなたの神聖さに

近づけるだろう。

神様を称える

私たちは神社でお参りをするときに、「二礼二拍手一礼」という作法でお参りをします。この二拍手にはどういった意味があるのかと思われる方もいらっしゃることと思います。

この拍手についてですが、古くは中国の『魏志倭人伝』という書物に、「日本人は、尊いものに対して拍手を打っていた」という記述があります。

この拍手とは、神様を称えるための拍手だと考えて頂いてよろしいかと思います。

神様を称え、日頃の感謝とお礼を申し上げる、これが神社で最も大切な、神様に対する考えかたであろうと思っています。

幸運が舞い込む「百福図」

「福」という言葉には幸運がやって来るなどの意味がありますが、この掛け軸「百福図」は漢字のつくりの異なった「福」が百文字書かれています。

 

人が幸福を感じる要素は何も一つだけではありません。
友人や恋人と共に食事をすること、好きな音楽を聴いて読書をすること、一人欲を張って富を握ること。

 

言い出すときりがありませんが、この百福図はそういった人々の幸福の多様性を表しています。

 

幸福が人それぞれであるならば、抱えている悩みも人それぞれです。
恋人を失った人、望んでいることが叶わない人、富と引き換えに孤独に陥る人。これも言い出すときりがありません。

 

ですが、立ち返るべき福は正にこの「福」の漢字にあります。福の左側の「ネ」(示)は、神をまつる祭壇の形を表し、右の部分は、品物が沢山入っている倉の形を表しています。

 

祭壇と物のつまっている倉をあわせて、「神の恵みに感謝をし、天に祈りを捧げること」を表しています。福の字にはこういった祈りを捧げることの大切さが込められているのです。

 

〜最後にこの「百福図」をご覧になった方に沢山の幸運が舞い込むことを祈念して〜

久留米城内に鎮座する篠山神社

篠山神社(ささやまじんじゃ)は福岡県久留米市篠山町444番地に位置する神社です。

かつて久留米城があった所に社殿が建立されてあります。

 

久留米城は、約250年間、久留米地域を治めた有馬氏の居城で、その昔は笹原(ささはら)城の名で呼ばれていました。

今ではその見事な石垣や正面側の内濠に往時の雄姿をしのぶことができます。

 

続きを読む

久留米市藤光町の光勝寺

久留米市には善導寺、大善寺、善通寺など、お寺の名前が地名になった例がありますが、
藤光町の光勝寺もその例の一つです。

 

現在も光勝寺の境内に「寺号復古記念碑」という碑があり、

それによれば、「今ヲ経ルコト千有余年」前の創建であったようです。

 

「光勝寺村」は、明治9年10月4日、藤田浦と合併し藤光村となり、

更に明治22年4月1日には、上津荒木村大字藤光となり、
昭和26年4月1日から久留米市藤光町となりました。

水天宮に鎮座する真木神社

水天宮の参道を歩いていきますと、右側に見えてくるのが真木神社(まきじんじゃ)です。

真木神社に祀られているのは、ここ水天宮の22代の宮司でもあった真木和泉守こと真木保臣をはじめ、一門及び門下生です。

 

久留米藩は21万石。黒田藩(福岡)と肥前(佐賀)、肥後(熊本)に挟まれた位置ですが、幕末は尊王攘夷思想でした。 水戸藩の天保学の影響を受けた水天宮の宮司、真木和泉がこの久留米藩の倒幕思想の精神的支柱でした。

 

彼が後世にその名を残すことになったのは、「蛤御門の変」です。
 長州藩の久坂玄瑞たちと共に、久留米藩の有志たちをひきつれて京の都に進軍しました。

しかし、事破れて天王山で自刃します。

 

続きを読む

自然に生きる

実に優美に生きる野生の動物たち

空を飛ぶ鳥たちは明日のことを迷い煩うことはありません。

 

人は「自然」に近づくほど健康になり、
「自然」から遠のくほど病気になります。

 

「自然に生きる」野生の動物たちから学ぶべきことは沢山あります。

行動とメッセージ

あなたは常に「行動」をしています。挨拶も笑顔も、すべて行動です。

あなたにとっては行動なのですが、他の人にとっては違います。

それは「メッセージ」として受け止められるのです。

 

あなたが笑顔で挨拶する。

挨拶された人は、何らかのメッセージとして受け取るわけです。

そしてその人は、そのメッセージを受け取った上で行動します。

あなたは、それをメッセージとして受け取ります。

つまり、あなたが送ったメッセージが返ってくるわけです。

 

だから、あなたがどんな表情をしているかは、あなたの目の前にいる人の顔を見ればわかります。

あなたの目の前にいる人は、あなた自身の鏡なのです。

 

食のもつ力

私たちは食事の時に、「いただきます」「ごちそうさまです」をなぜ言うのでしょうか?

 

「いただきます」の意味の一つは、作ってくれた人の命をいただくということです。

命とは時間です。

ある人が80歳で亡くなったとしましょう。

ということは、80年間という時間が、その人の命だということです。

今朝、あなたのお母さんは、30分かけて朝ごはんを作りました。

今日の夕食、お母さんは、一時間かけて夕ご飯を作ります。

その朝ご飯にはお母さんの30分ぶんの命、夕ご飯には一時間ぶんの命が込められているのです。

 

あなたが生まれてから今日までの間、お母さん、お父さんは、自分の命の時間を使って、あなたを食べさせてきたのです。

「いただきます」の意味の一つは、作ってくれた人の命をいただくということです。

食べ物を粗末にすることは、作ってくれた人の命を粗末にすることです。

心を込めて、「いただきます」「ごちそうさまです」を言いましょう。

食べ物を作ってくれた人に感謝の気持ちを忘れないようにしましょう。

 

 

今年の旧正月は2月16日

本日、2月1日の晩はちょうど満月が上がりますが、

これから15日後の月が新月になる2月16日は旧暦の正月に当たります。

 

旧暦は、新月が1日満月が15日といった具合に、

月の満ち欠けで暦が付けられています。

 

日本以外のアジア諸国では、旧暦の正月を重視してお祝いされておりますが、

日本でも昭和25年ごろまでは主に旧暦で正月を祝っていたようです。

 

皆さま方も旧暦と新暦の年に二回、正月を祝われますと

良いことも二倍舞い込んで来るかもしれません。

 

今晩は皆既月食

今日1月31日は、満月であり、月が地球の影に完全に入り込む皆既月食が起こります。

 

日本全国で月は20時48分に欠け始め、21時51分には完全に欠けて皆既月食となります。皆既月食が1時間17分続いた後、23時8分には輝きが戻り始め、真夜中を過ぎた0時12分に元の丸い形の満月となります。

ソーハム・プラーナ

「ソーハム・プラーナ」と呼ばれるヨーガの行法があります。これは様々なヨーガの行法の中で最も基本的なものです。
「ソーハム」とは、本来は「サハ・アハム」ですが、サンスクリットの連声(れんじょう)法によって「ソーハム」と発音されます。「サハ」とは宇宙我を、「アハム」とは個我を指しています。したがって「サハ・アハム」すなわち「ソーハム」とは宇宙我と個我との同一性を意味します。

 

「プラーナ」とは息、呼吸です。ヨーガの基本は呼吸法であり、呼吸がエネルギーの流れを司るのです。行者はつまりソーハムを目指してプラーナによる行法を行っているのです。

ゆく年くる年

平成30年が

素晴らしい年になりますように

日本の神々

日本には大勢の神様が自然のいたる所におられます。海川山石草木など、自然のもの全ては、地上での神のあらわれです。

 

私たちの祖先はこの神々を「八百万の神々」とお呼びし、お祭りしてきました。

 

神々は私たちの生活や行事の中に自然に存在していますが、あまりに身近なため、普段はそのことにあまり気づきません。

 

歳神さま

お正月には、家に歳神(としがみ)さまをお迎えするために、注連飾り(しめかざり)や門松を飾り、床の間には鏡餅をお供えします。

 

歳神さまとは、正月さま、歳徳神(としとくじん)さまとも呼ばれますが、この神さまは「家に幸福をよぶ祖先神」、「一年を守護する神」、「豊作を司る神」が一つの神さまとなって信仰されています。

 

神様をもてなす

神社とは神様の住まわれる住居といえますが、古代の信仰では、神様は祭りの間だけ降臨し、祭りが終わると帰っていくと考えられました。

 

そのために祭りの時に神に依(よ)りついてもらう依代(よりしろ)が必要で、神が宿る依代、即ち神籬(ひもろぎ)は一般的に榊(さかき)の木と麻の繊維が用いられます。


正月に飾る門松も代表的な神籬の一つです。

 

歳月 人を待たず

今年も残す所、あと十日となりました。
いただいた多くの出会いに感謝致しております。
残りの日数、どうぞ心穏やかにお過ごし下さいませ。

 

東林寺天満宮

世界の未来

「世界の未来は進むだけ進み、

その間いく度となく戦争を繰り返して、最後の戦いに疲れる時がくる。

その時人類は、誠の平和を求めて、世界的盟主を挙げるであろう。

 

この世界的盟主なるものは、武力や金力によるものではなく、

すべての国の歴史を超越した、最古の最も尊いものでなくてはならない。

 

世界の文化はアジアにはじまって、アジアにかえる。
それはアジアの高峰、日本にもどらねばならぬ。
我々は神に感謝する。天が我々に日本という尊い国を、創っておいてくれたことを。」

 

アインシュタイン博士、大正11年(1922)訪日の際に

 

生命と文化の根源

私たちが口にするほとんどの食べ物は、もとを辿ると、1粒の種子、タネから生まれたものです。

タネは、サンスクリット語(HinduismBuddhism)で「Bīja(ビジャ)」と言います。それは「生命の源」という意味です。小さな1粒のタネの中に、生命の全ての可能性が詰まっています。

 

我が国の最古の歴史書である『古事記』、その上つ巻の神代にある「天孫降臨」の場面でタネについての記述があります。それは天上の世界である高天原(たかまのはら)で太陽神、天照大神が地上に出発される天孫、ホノニニギノ命に対して祝福の言葉を述べられ、タネである稲穂を託し、地上に送られる場面です。

 

その言葉とは、「あの雲下に見える豊葦原の瑞穂の国(稲穂が隅々まで豊かに実る肥沃な土地、日本)をどうぞあなたが治め、この稲で世界一の稲作国家を築いてください、どうぞ地上に高天原を築いてください。(天壌無窮の神勅)」というもので、天照大神は祝辞を述べられ、高天原に実る稲穂を天孫に授けられました。天孫はその稲穂を握りしめ、地上の日向の地(宮崎)に降りられ、国土の統一を実現されました。

 

タネは正しく、私たちの生命と文化の根源なのです。

 

タネには自らの生命を未来につないでいこうとする力が秘められています。それは様々な環境の変化にも適応しながら、自らを発展させていきます。私たちの先祖はその力と共に繁栄してきました。それができたのは、私たちの先祖が、タネは共有の財産として扱い、独占や占有を認めなかったからです。さつま芋が沖縄から鹿児島に伝わり、それが日本の隅々にまで伝わり、収穫ができるようになったのは、それを誰も占有することがなかったからです。それは私たちの先祖の知恵であり、そうであったからこそ、人類は繁栄し、豊かな文化を育むことができました。

 

そのタネに異変が起きています。現在、世界で売買されているタネの多くが、複数の巨大なグローバル企業に占有されています。世界はグローバル化による生命と文化の略奪を受けています。

 

日本はペリー来航から昭和に至るまでの凡そ100年間、欧米列強の支配と戦いました。特攻隊として散っていった若者は未来の若者のために命を捧げました。

 

現在の私たちの世界もまた多くの問題と直面しています。安全と繁栄の象徴であった欧米でさえ、失業による暴動や、難民の増加、緊縮財政のもとで社会保障費が削減され、デモが起こっています。貪欲なグローバル化が全世界に広がるにつれて、貧困、格差が拡大しています。

 

私はアジア、とりわけ日本には特別な何かがあると感じてきました。それは多様性、思いやり、何世紀にもわたって受け継がれてきた文化や知恵、自然に対する畏敬の念であり、そして人や世界をより良くする新しいものに気づく力です。

私たちは自らの欲にとらわれるところから抜け出し、進まなければなりません。それはずっと前から私たちが気づいていた日本人の精神です。

 

今こそ現在の在り方を超えて次の段階に進む時です。

 

タネは私たちに本当の意味での豊かさを与え続けてくれます。

 

 

上津荒木 コウダラキ

上津荒木と書いてコウダラキと読むのは、難読地名の一つに数えられています。
ある説によると、佐賀県の厳木(キュウラギ)、大牟田の教良木(きょうらぎ)、熊本県の多良木(たらき)多良木の近くに「古多良木」という所がありますが、これらはクダラキ「百済来」が訛ったものであるといわれています。

 

上津荒木が記録の上に出てくるのは「草野文書」(1352年)2月11日の条に、足利直冬が発給した、上津荒木五郎次郎への領地宛行状に記載されているのが最初です。

 

このことについては、本山納骨堂の裏を高良台演習場に出る手前に、二基の古い墓があり、「山本家先祖の墓」という表記があります。

 

この山本家がその昔、上津荒木氏名乗っていたのです。

長門石 七木地蔵尊

久留米市の市街から筑後川を挟んで西側の長門石地区に、七木地蔵尊(ななきじぞうそん)という立派な地蔵堂があります。

 

本尊は、霊験あらたな地蔵尊として知られ、以前は平家伝説にまつわる両同院にあった榎・櫨・モチノキなどの七種の木が幹をあわせていた根元に位置していたことで、七木地蔵尊との名で呼ばれるようになりました。

 

 

入り口では横に大きく枝を伸ばした松の木が出迎えてくれます。境内の隅々まで手入れが行き届いて、気持ちよくお参りすることができます。

 

続きを読む

宮地嶽神社 光の道

宮地嶽神社の光の道は年に2回、見頃があります。毎年2月20日前後と10月20日前後、夕日が鳥居や参道の先に真っ直ぐ沈み、神社と海岸、そして相之島が一直線の光で結ばれます。

 

続きを読む

靖国のみたま

夏の日差しの照りつける道、汗をぬぐって辿りついた先

 

あらゆる先入観を捨てて、あなたと向き合いたかった

 

あなたのことをもっと知りたい

 

あなたは私そのものだから

 

続きを読む

藤光小学校

明治政府は世界の列強と肩を並べて行くためには、

人材の育成が急務であるとし、「学制」を公布しました。

 

高良台近隣は、明治19年に藤光小学校ができました。
藤光小学校は現在の鉄建工業さんの東側台地の上でした。

高良台演習場ができる時、買い上げられています。

昭和20年8月11日 久留米の大空襲

 

昭和20年8月11日 午前10時半、戦爆機150機が久留米市を襲いました。
市は火の海となり、市の中心部はことごとく焼失するに至りました。
この空襲による被害は、被災戸数 四千五百六戸、被災者 二万二十三人、死亡者 二百十四名を数えました。

 

久留米空襲の前日、日本政府は、ポツダム宣言の了承を連合国側に通告していました。

 

 

ドイツ人捕虜 高良台収容所跡

明治44年、東林寺天満宮の周辺は、陸軍の演習に来た部隊が宿泊する兵舎が作られました。


ここに第一次世界大戦(大正3~7年)、ドイツ軍捕虜296名が連れてこられ、高良台兵舎に収容されました。

 

写真は大正4年(1915)1月27日に久留米収容所で撮られたものです。

 

収容所では捕虜によるさまざまな文化活動が行われました。収容所当局から捕虜に強制されたことは、朝と晩に各1回行われる点呼のみでした。それ以外は捕虜に自由活動が許され、ある捕虜は日記の中で、「収容所での最大の敵は退屈であった」と記しています。

 

ドイツ軍捕虜は終戦までの約四年間、町内一帯で生活しており、順次帰国していきましたが、約20名が日本居住を希望し、11名は収容所内で死亡しております。

 

六曜の吉凶

六曜は、室町時代に六壬占法が我が国に伝わり、現在最も広く使用されている暦法となりました。

 

先勝(せんかち):諸事早くするに利あり、午後は悪し。

 

友引(ともびき):午前中相引き勝負なし、建築吉、葬式凶。

 

先負(せんまけ):この日は静かなることよし、午後より大吉。

 

仏滅(ぶつめつ):凶日、何事も忌む、この日病めば長引く。

 

大安(だいあん):吉日、旅行移転婚姻開店、万事吉なり。

 

赤口(しゃくこう):凶日、何事にも用うべからず。

 

久留米市の全国総本宮、水天宮

今日は久留米市瀬下町にある水天宮に参拝をしてきました。

水天宮は東京、横浜、神戸をはじめ、全国各地にある水天宮の総本宮です。

鳥居の水天宮の扁額は東郷平八郎の書によるものです。
水天宮は安産祈願で有名ですが、水神信仰、水難除けの神様ですので、旧日本軍の海軍と関わり合いが深かったのでしょう。
軍艦千歳は、筑後川の旧名、千歳川から採られました。

幕末の尊王攘夷の志士、真木和泉(まき いずみ)守はここ水天宮の第二十二代宮司です。

境内には、真木和泉の立派な銅像や、真木神社があります。

続きを読む

お花が散って

お花が散って実が熟れて、その実が落ちて葉が落ちて、

それから実が出て花が咲く。

 

そうして何べん回ったら、この木は御用がすむかしら。

 

「木」 金子みすづ

福岡随一のパワースポット、宮地嶽神社

宮地嶽神社は福岡県福津市に鎮座する神社です。

 

ご祭神は神功皇后(じんぐうこうごう)」をはじめ、勝村大神(かつむらのおおかみ)、勝頼大神(かつよりのおおかみ)の三柱をお祀りしています。全国にある宮地嶽神社の総本宮です。

 

拝殿前には日本一の大しめ縄が掛けられています。

宮地嶽神社は開運 商売繁昌の神社として知られ、毎年220万人以上の参拝客が訪れ、特に正月には三社参りの一社として大変多くの人が訪れます。

 

本殿では黄金色の屋根が輝きを放ちます。平成22年に屋根の銅板が老朽化のために、新しく黄金のチタン板に張り替えられました。

 

続きを読む

宮地嶽神社 奥の宮不動神社の古墳

宮地嶽神社でのお参りが終わりましたら、御本殿裏に進みますと「奥の宮八社」へ続く参道があります。

今日ご紹介する不動神社はその「奥の宮八社」の内の一社です。

この不動神社、ご祭神は不動明王で全国でも珍しいのですが、やはり最も特筆すべきは、古墳が本殿になっているという点です。横穴式の古墳の入口前に拝殿があり、古墳内部に不動明王が祀られています。

 

拝殿に入りますと、古墳の入口すぐの所に祭壇が置かれていて、普段はそこでお参りをしますが、年に三回の祭典日には御開門され、古墳内部での参拝をすることができます。

 

本殿内部です。年に三回の大祭日に入ることができます。

 

不動神社の本殿となっている宮地嶽古墳は直径34メートルの円墳で、内部の横穴式石室は全長23m、最人幅2.8m、天丼までの高さは最大3.1mを測る巨大なものです。奈良県橿原市の見瀬丸山古墳の石室の長さ28.4mに次ぐ全国2位の規模を持つ横穴式石室古墳です。

 

石室に使われている石も巨大な切石で、一つの石が高さ幅とも約5m奥行き数mに及ぶ巨石8個が左右に並んでいます。

 

この巨石古墳からは、約三百点の宝物が出土し、内十数点は国宝に指定されています。

冠、馬具類、太刀など、全国に類まれなる優れた品揃いであることから、地下の正倉院といわれています。 

続きを読む

神宿る水

「最高の善は水のようなものである。万物に利益をあたえながらも、他と争わず器に従って形を変え、自らは低い位置に身を置く。」

 

水の性質を最高の善のたとえとした、「老子」の八章に見える有名な言葉です。

 

一、自ら活動して他を動かしむるは水なり

一、常に自ら進路を求めて止まざるは水なり

一、自ら清くして汚水を洗い清濁(せいだく)併せ容るるの量あるは水なり

一、障害に逢い激しくその努力を百倍するは水なり

一、洋々として大洋を充たし、発して蒸気となり雲となり雪と変し霰(あられ)と化し、凝っては玲ろうたる純となる、而もその性を失わざるは水なり

 

キュウリがお好きな八坂さま?

京都の八坂神社は、もとは祇園社という名称で、比叡山延暦寺の末社でしたが、明治に施行された神仏分離令によって独立、国の管轄下となり、祇園の名称は仏教用語で相応しくないとして、八坂の名称に変わりました。 門前町の祇園という名称はその時代の名残です。

 

八坂神社のご祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)です。京都のお祭りといえば、すぐに思い出すのが八坂神社の祇園祭りです。このお祭りは、平安時代、疫病(えきびょう)退散のために御所(ごしょ)内で祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)が行われたのが最初で、疫病・災害の原因を怨霊のせいと考え、それを鎮めるために牛頭天王(ごずてんのう)をお祀りしました。

 

牛頭天王は、インドの祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の守護神といわれ、疫病封じのご利益があることから、仏教伝来とともに、素戔嗚尊と同一視されるようになりました。八坂神社を天王さまと呼ぶところも多いようですが、それはこの名残です。

 

夏に行われる天王祭では、地域によってキュウリをお供えする風習が見られます。八坂さまがなぜキュウリが好物かといえば、その昔、八坂さまが悪い神から逃れるために、きゅうり畑の中に身を隠し難を逃れたそうです。八坂神社のご神紋は、キュウリを切った切り口に似ていることからも、きゅうり好きといわれる由縁だそうです。

 

 

ハワイ日系人と神社

ハワイには現在、凡そ四社の神社があります。

 

ハワイ出雲大社、ハワイ太宰府天満宮、ハワイ金比羅神社、ハワイ石鎚神社です。

 

ハワイと神社というのは、少し印象が重なりにくいかもしれませんが、ハワイが明治時代から日本人移民を受け入れたことを思い出すなら、今でもハワイに神社があることに納得がいきます。

 

戦前に比べれば海外の神社数は減りましたが、日系人の交流の場としての機能は、今でも失われてはいません。

 

ただ、3世や4世など日本語が分からない世代が増えてくるにしたがって、神社から日系人の姿は少なくなりつつあります。

 

ハワイの仏教がだいぶアメリカ化したのに対し、神社の場合は伝統的な姿を維持しています。祭式の際、神職の装束は日本におけるのと同じですし、祝詞(のりと)も日本語のままです。祭神にジョージ・ワシントンを加えたり、掲げる国旗を星条旗にする神社も見られますが、日系人の日本に対する意識の変化が、今後のハワイの社寺の方向性を定めることになるでしょう。

 

今晩から明朝まで、空では新月と皆既日食

本日は今晩から明朝まで、夜空では新月(暗月)が観察できますが、それと時を同じくしてアメリカ大陸では皆既日食が横断するという特異日です。

 

今回の皆既日食は、「Great American Eclipse (偉大なるアメリカの日食)」と呼ばれ、アメリカ西海岸から東海岸まで、北アメリカ大陸を横断し、ホワイトハウスの上空も通過します。前回アメリカが唯一の皆既日食の観測地となったのは1257年。つまりアメリカ建国よりも、はるかに以前のことです。

 

皆既日食は、月の影が太陽をすっぽり隠す現象ですが、これが起きるのは、太陽・月・地球が一直線に並んだ時です。

 

この日食は、日本では22日の日の出前に起こるため、観察することはできませんが、明日まで静観しておいた方が良いかも知れません。

 

ペルセウス座流星群 今晩が見ごろ

今晩12日の深夜から、13日明け方までに、夜空では「ペルセウス座流星群」を観察することができると予想されています。

 

ペルセウス座流星群とは、毎年8月13日前後に観られる流星群で、しぶんぎ座流星群(1月4日ごろ)、ふたご座流星群(12月15日ごろ)とともに「三大流星群」の一つとして数えられる、活動が活発な流星群です。

 

毎年8月13日前後に観られ、活動が安定しており、ほぼ期待どおりに観察することができます。

 

今年の場合は、月明かりの影響が大きいため、月に背中を向けたり、月を建物で隠したりするなど工夫をしてみてください。

 

この時期、西の空には「夏の大三角」、天頂付近には「秋の四辺形」、北から東の空には「カシオペヤ座」や「プレアデス星団(すばる)」、金星などが見えています。ゆったりと星座や星を楽しみながら、流れ星が飛ぶのを待ってみてください。

8月28日は伝統的七夕の日

七夕はもともとは旧暦の7月7日、つまり現在での8月中旬に行う行事でした。

 

その時期は、お盆(旧暦7月15日前後)と重なりますので、お盆との関連がある行事でしたが、明治時代の改暦以降、七夕は新暦の7月7日に行われるのに対して、お盆は旧暦のまま行われるようになり、凡そ1ヶ月のズレが生じてしまい、二つの関連性が薄れてしまいました。

 

旧暦の7月7日は、梅雨が明けた真夏の時期になりますので、夜空に映る天の川を見ることは容易なのですが、新暦の七夕では梅雨の最盛期ですので、天気が悪く、夜空を拝めない状態が多くなってしまいました。
 
旧暦にもとづいた七夕は「伝統的七夕(旧七夕)」と呼ばれ、今年は遅めの8月28日です。

 

当日は日没後1時間後くらいから、東の空を見上げると、3つの星を見つけることができます。

特に明るい2つの星が「おりひめ星(織姫星、織女星)」と「ひこ星(彦星、牽牛星)」です。北寄りにあり、先に昇ってきて高いところに見える明るい方の星がおりひめ星です。

おりひめ星は西洋の名前で言うと「こと座」の「ベガ」、ひこ星は「わし座」の「アルタイル」です。

さらに、おりひめ星とひこ星のほかにもう一つ、目立って明るい星が左の方にあります。「デネブ」と呼ばれる「はくちょう座」の星です。

これら3つの星は星々の中でも特に明るい「1等星」で、3つを結んでできる大きな三角形が「夏の大三角」です。

お盆と東日本大震災の月命日

明日、8月11日は東日本大震災から数えて6年5ヶ月目の日です。

 

6年5ヶ月目とは、77ヶ月目です。

 

七夕祭りであったり七五三など、7という数字は大切な意味を持っています。

 

また、多くの故人が帰って来るお盆と共に迎える大切な月命日でもあります。

 

故人のみたまを慰霊し、また、家族の幸せを見護る存在となったみたまへ感謝の祈りを捧げましょう。

 

新月と満月のエネルギー

新月や満月があがる時刻には、日常生活から少しのあいだ離れて、宇宙のエネルギーを感じ、平和を祈りましょう。

祈りとは、自分とじっくり向き合うことでもあります。

 

新月は新しい月が始まる時間、浄化のエネルギーに満ちあふれています。
この日は何かを始めるのには最適な日です。不必要なものは全て手放し、宇宙から降ってくる新月の優しい大気を受け、すっきりと心身の浄化を促しましょう。新たな創造のエネルギーに満たされます。

 

満月は月の満ちる時間、達成のエネルギーで心も体も満たされます。この日はゆったりと静かに心身のバランスを整え、瞑想的に過ごしましょう。

 

実際に新月や満月の時刻に合わせて、世界中で多くの人が祈りを捧げています。心から平和を望み祈っていることを、祈りの中で発見しました。多くの人が潜在意識で繋がる特別な時間でもあるのです。

 

アンコール遺跡で巨大石像を発掘、状態は良好

先日の7月30日、カンボジアのアンコール遺跡群で、12世紀末から13世紀初め頃のものとみられる石像が見つかりました。

その石像は、高さ1.9メートル、重さ約200キロにも及ぶ、非常に状態のよい石像でした。


アンコール遺跡群のひとつであるアンコール・トムの北側で、12世紀の病院跡につながる水路を調査するため、12日間の発掘作業が始まってまだ2日目のことでした。

 

アンコール遺跡群を管理する政府機関、アンコール地域遺跡整備機構の考古学者たちは、地元紙「カンボジアデイリー」のインタビューに対し「まるで映画の中の出来ごとのようでした」と答えています。

 

整備機構の発表によると、石像はわずか40センチほどの深さのところに埋まっており、当時の衣装を彫った装飾ははっきり残っていますが、両足には欠けている部分もあったとのことです。

アンコール遺跡群を治めていたたクメール王朝は、全盛期には、現在のタイ、ラオス、ベトナムを含む広大な土地を支配していました。

 

「王都の寺院」を意味するアンコールワットは、もともとはヒンドゥー教の神ヴィシュヌ神に捧げるために建立されましたが、のち仏教寺院として使われるようになりました。 15世紀には、クメール王朝の勢力も衰退し、それとともに都市も陥落していきました。


今回の石像発掘は、近年ではきわめて重要な発見であるそうで、遺跡に隣接するノロドム・シハヌーク博物館に展示されるとのことです。

 

 

東風ふかば

東風吹かば
匂い起こせよ梅の花
あるじなしとて春な忘れそ

 

この和歌は菅原道真公が生まれ育った京都の邸宅に咲く梅を愛おしんで詠まれたものです。故郷に帰れぬ身となった道真公が大宰府の地で亡くなり今年で1,114年になります。

 

千年の時を越え、今年も境内に咲いた梅を見上げ、御祭神の想いに心を重ねます

菅原道真公 御自作の神像

 

「我は菅原道眞なり。今武蔵寺に同体分身の像あり、よ ろしく東林寺に持帰り、信仰せよ。いかなる願も叶えるであろう」

 

東林寺天満宮に祀られている御神像は、福岡県筑紫野市の武蔵寺(ぶぞうじ)より遷し祀られたものですが、この御神像には、数々の言い伝えがあります。その中でも特に注目されるのは、菅原道真公と同体分身の像、即ち道真公自らが刻み作られた像であるということです。

この縁起について記された文献を抜粋し、以下にその内容を記します。

 

 

 

『郷土研究 筑後』(昭和9年)より

(一〇)菅公自作の神像(三井郡上津荒木村光勝寺)

靈松山東林寺は、元禄十五年有馬頼元公の命に依つて草創し、慈妙空惠和尚を開祖とする眞言律宗の寺院である。この寺に屬した東林寺天滿宮の神像の物語。東林寺に玄鏡といふ老僧が居て病に罹り、その養生のため筑前の武蔵温泉に浴するため、旅亭に滯在してゐた。或る夜、同行の武蔵寺に在ます菅原天神の像を持ち歸つた夢を見た。そこで、翌朝夙く武蔵寺に詣でて、住僧の定應法印にその夢の次第を物語つた。僧、これを聞いて「吾が寺に、昔より天神の木像があります。傳へによると、菅公自作の神像と言ひます。この寺は邊鄙な寺、徒に安置して置くより、今朝の夢の告に從つて、貴寺に納めませうから、お持ち歸りください。」と言つた。玄鏡は喜んで、尊像を持ち歸り祀つたのである。(19頁)

 

 

 

『筑後史』より

宝暦二年壬申の卯月二十二日の夜、東林寺の老僧玄鏡、筑前武蔵の温泉に浴せんがため、当地の温泉旅館に宿した。その時、霊夢により、同所武蔵寺にある菅神の像を貴寺に安置せよとのお告げがあった。

同日、武蔵寺住職 定應法印にも夜に、御神体を霊松山にうつし祀るべきお告げがあった。奇しくも同日同夜、霊松山主観 果大和尚の夢中に衣冠正しき者が面謁し、「我は菅翁なり、肉孫の玄鏡、日夜信心恋慕する故、我本意を教示せり。我 年来 秘教を当山に鎮座し、永く実教の法味を受け、諸神と共に威力を倍して悪神悪魔を降伏し、我れ即身成仏の卯明を授け玉へ」と乞ひ玉ふ時、山主は驚き覚められたり。

以上三者が同日同夜 霊夢を見る。

筑前武蔵の温泉宿にいた玄鏡は翌日、武蔵寺に詣で、住職 定應法印にこの事を語った。前日霊夢を見ていた定應法印は奇なると感じ、「吾に累年、天神の木造あり、伝えによると、菅公の御神体なりと伝来するものがあるが、只徒に安置するのみ。今幸に夢の吉に任せ、貴寺に納むべしと應諾。

 

 

 

『天満宮』の御縁起より

玄鏡言わく

勿然と現に神体あらわれ玉ひ、汝は吾が肉孫にして、縁深き者なり。我れ昔神なりし時、筑前天拝山に於て自ら全身の神像を刻み、同体分身して我が心神形色を此像にとどめ置く、全く生身に異ならず。久しく武蔵寺に隠れしが、今既に時至れり、爰に出現す。汝早く我が神像を霊松山に遷し益々、渇仰せよ。

同夜、霊松山主観果大和尚、夢中に衣冠正しき神聖来たりたまひ、面謁して、我は菅翁なり、肉孫の玄鏡日夜信心恋慕する故、我本意を教示せり。願はくは、我即身成仏の卯明を授け玉へと乞ひ玉ふ時、山主は驚き覚められたり。

又同夜に筑前武蔵寺 現住 定應法印へ御神体を霊松山に遷し奉るべき旨告げさせ玉ふ。誠に伝聞の貴賤歓喜踊躍して不思議の思をなし、玄鏡律師 直ちに筑紫武蔵寺へ走られ、即時に生身の神体を乞受け、宝暦二年(1752年)五月二十五日、筑後国 霊松山東林寺に御遷宮あらせたまふ。

 

 

 

『久留米ん昔話』より

坂の上の菅公像 (藤光)

藤光のとこに東林寺のあった頃、ここの玄鏡ち言う和尚さんが年とったせいか、ちーつと体ん調子ん 悪かもんぢゃけ、「筑前の武蔵温泉がよかけん、いっ時養生して来なさらんの」ち言う門徒たちのすす めで、武蔵温泉に湯治に来なさった。日にちのたつにつれちほんに元気にならしゃった。いくら湯治に 来とっち言うてもお坊さん。朝夕の御勤めは欠かさんごつしござった。或る夜、寝る前のお勤ばされと っと、いかめしか衣冠束帯の人が目の前に現われて「我は菅原道眞也今武蔵寺に同体分身の像あり、よ ろしく東林寺に持帰り、信仰せよ。いかなる願もかなえるであろう」ち言うて消えられた。和尚さんな 不思議なこつもあるもんち思うて床につかれたが、そん晩夜の勤行の時見た菅公の像ば温泉の西にある 武蔵寺から自分が戴いて東林寺に持って帰る夢を見らしやった。和尚さんな夜の明くっとも待ちきらん ごつして武蔵寺ば尋ねち、住職の定応法印さんに昨夜ん夢ば話しなさった。ところが定応住職も又同じ 夢ば見とられとったけん、「私も同じ告げを受けました。たしかに武蔵寺には昔から伝わっておる天神 様の木像がありますが、この御像は菅公御自身がお彫りになったものち言われとります。こげな片田舎 のお寺にお祀りしておきますより、藩公の直願寺である、あなたの東林寺様で祭っていただいた方が菅 公様も御本望でしょう、どうぞおゆづり申しますけ昨夜の夢んごつ待ってお帰り下さい」ち武蔵寺さん ぢゃ心ようゆずられたけんで、玄鏡和尚は喜うで東林寺に持って帰って天満宮に祭らっしゃった。

 

 

 

続きを読む

心身を浄化する、塩の選び方

私たち生命の源である海には、命を育む多種多様なミネラルが調和のとれた形で溶け込んでいます。

 

日本は周りを海で囲まれている島国ですので、塩は昔から広く流通していたような印象がありますが、実はその逆です。

 

海はあるものの降雨量が多いため、海水の水分を蒸発させて作る天日製塩に適していないこと、また岩塩や塩湖などの塩資源に恵まれていないことなどから、古くから塩はとても貴重なものでした。

 

塩には人間や生物が生きていくために必要な成分が多く含まれています。一般的にナトリウムやカルシウム、カリウムなどのミネラルが豊富で、血液濃度や体液バランスを調整します。また、陰陽では塩は陽性で、身体を浄化し温め、気力を高めるといった働きがありますので、けがれや災難を祓うためのお清めとして古くから使用されてきました。

 

現代の塩は大きく分けて、化学精製塩(食卓塩)と自然塩の2種類がありますが、より広く流通している化学精製塩はその名が示すように、科学的に製造されたもので、塩化ナトリウムが99%以上となり、それ以外のミネラルはほとんど含まれていません。これは自然塩よりも、塩辛さが際立ち、「化学製品」ともいえるため、身体の浄化や活性化には適しておらず、むしろマイナスの効果をもたらします。

 

一方、自然塩は岩塩などの自然に結晶された塩や、塩田で作った塩などがありますが、中でも日本人には海塩が適しているといわれています。塩えらびの際には、以上の点にご留意されてお選びください。

 

祈年祭(きねんさい)

祈年祭(きねんさい)とは、「としごいのまつり」ともいい、

毎年2月17日に宮中や伊勢神宮をはじめ、全国各地の神社で行われるお祭りです。

 

祈年祭の「年」は、稲の実りの意味で、年の初めにあたり、

稲の豊作を祈るとともに、国家国民の平安と安泰をお祈りします。

 

日本は、稲作を中心とする農業をもとに栄え、神社のお祭りもこの稲作を中心とする祈願が行われてきました。

 

古来の信仰が息づくお祭りの型体です。

 

 

 

鎮守の杜を守り、育てましょう

 

森は、単に木々が集まって出来ているのではなく、

何種類もの樹種、野鳥や小動物に昆虫、地中の微生物など

実にさまざまな生物が影響し合って、共に生きている所です。

 

日本では約2,000年前に稲作が始まり、森を切り開き耕地整理をし、道路や集落を形成していきましたが、

その際にも私たちの祖先は必ず故郷の森を残してきました。

それが鎮守の杜(ちんじゅのもり)として現在につながっています。

 

 

鎮守の杜の「鎮守」とは、その土地の神をなごめ、

神域を守護するための守(もり)として、その土地の人々に大切に受け継がれてきました。

 

鎮守の杜は、まさしく千年の森と呼ぶにふさわしい場所なのです。

 

 

建国記念の日

建国記念の日とは、日本国の誕生をお祝いする日です。

この日、全国各地の神社では紀元祭(きげんさい)という祭典を執り行い、お祝いをします。

 

日本国の建国は、神武天皇(じんむてんのう)が奈良県の橿原宮(かしはらのみや)で

即位された紀元前660年の旧暦正月一日を紀元とし、新暦にあたる2月11日を紀元節と定めました。

 

紀元節は、戦後一時廃止されましたが、昭和41年に建国記念の日と名称を改めて制定され、現在に至ります。

 

 

神さまのお使い

奈良県の春日大社を参拝されたことがある人は、たくさんの鹿を目にされたことと思います。

  

なぜその周辺に鹿が多いのかというと、それは鹿が春日大社の神の使いと信じられ、奈良の人に大切にされてきたからです。

 

神さまの使いのことを神使(しんし)ともいい、神の意思を私たちに伝えると信じられた動物のことです。

 

 

古事記・日本書紀には、天照大神(あまてらすおおみかみ)が八咫烏(やたがらす)を初代の天皇である神武天皇(じんむてんのう)の道案内として遣わしたことが記されており、このことから和歌山県の熊野大社ではカラスを神の使いとして尊崇されています。八咫烏はサッカーの日本代表のシンボルとしても有名です。

 

その他、稲荷神社のキツネや八幡神社のハト、天神様のウシ、弁天さまのヘビ、大黒様のネズミ、日吉神社のサルなど、全国各地の神社で神さまの使いにまつわる動物の伝承が残されています。

 

 

八女市の歴史と文化が伝わる、福島八幡宮

福岡県八女市のほぼ中央に鎮座する福島八幡宮。

こちらの神社では、毎年9月23日から3日間にわたり、重要無形民俗文化財に指定される『八女福島燈篭人形(からくり人形芝居)』が奉納されます。

 

 

人形芝居は、舞台の左右から棒で巧みに人形を操り、瞬時に橋から橋に移る「送り渡し」や、衣装の早変わりの「素抜き」などが見どころです。

 

上演される屋台は、高さ8メートル、幅14メートル、奥行き6メートルの3層2階建てで、くぎやかすがいを1本も使わず上演の時だけ組み立てられます。三層の最上部分では唄や三味線、太鼓、鼓などのお囃子が、見事な生演奏を行います。

  

続きを読む

台北のパワースポット、龍山寺

台北で一番おすすめのお寺がこちら、龍山寺です。

 

創建は約270年前とされ、台北で最も歴史のあるお寺です。寺院には道教の影響が色濃い、中国文化特有の鮮やかな装飾が施され、その光景は圧巻です。

  

 

龍山寺は、MRT「龍山寺」の出口1を出てすぐのところにあります。 この周辺は萬華地区と呼ばれる台北市でもかなり古い街で、仏具街や薬草街、骨董街、伝統市場などが連なります。

 

そこには、おしゃべりをしたり、将棋をしたり、さらに賭け事をしたりする多くの地元の人たちで賑わい、台北市の下町風情が濃厚に残っています。「雰囲気がちょっと怖い…」という印象を受けるかもしれませんが、敬遠することなく訪れれば、台湾風情を感じられる絶好の場所です。

 

 

門を抜けると、正面には本殿があり、その前でお参りをする人たちで賑わっています。売店でお香を購入し、お参りをします。

 

続きを読む

台北の街道をいく

少し前になりますが、2012年の5月に、私が台湾の台北市を旅行した時の写真です。

 

 

台北の桃園国際空港からシャトルバスに乗り、台北駅に到着です。駅の内部はとても広く、飲食店やお土産屋がたくさん入っており、日本の駅と似た感じがしました。

台北市内の観光は、地下鉄を利用すれば大方の名所には行くことができます。

 

私が地下鉄内で出口がわからなくなった時に、駅員さんに出口をたずねようと「Do you speak Japanese?」と聞くと、丁寧な日本語で案内してくれました。台北市内は、割合、日本語が通じる方が多いようですので、英語が苦手な方でも、さほど不便なく観光ができると思います。

 

道が分からなくなった時には、思い切ってどんどん道をたずねてみると、思いがけない幸運な出会いもあるかもしれません。

 

 

台北は街のいたる所に、日本と台湾が同じ国であったかつての面影が感じられ、初めて歩く通りでもどこか懐かしい感じがしました。

 

続きを読む

国旗

「日の丸」は全ての生命の源である

太陽をかたどったものです。

 

「白」は、清く穢れのない日本人の生き方を表します。

「赤」は、偽りのない真心を表します。

 

そして円には、日本の国の永遠の繁栄を願う気持ちが込められています。

 

筑後の恋愛の神様、恋木神社

水田天満宮の境内には恋木神社(こいのきじんじゃ)があります。

「恋命(こいのみこと)」を祀り、「良縁幸福の神様」「恋の神様」として親しまれ、若い女性を中心に話題のスポットになっています。

 

 

参道にはハート型の陶板が敷き詰められており、神殿の紋やお守り、おみくじ、絵馬にもハート型のデザインが使われていています。

 

続きを読む

大川市のパワースポット、風浪宮

風浪宮(ふうろうぐう)は福岡県大川市に位置する神社です。「おふろうさん」の名で親しまれています。
今から約1,800年前に創建された神功皇后(じんぐうこうごう)ゆかりの神社です。

   

 

風浪宮の境内には、国の重要文化財に指定されている本殿や、正平十年(1355年)に造られたという石造りの五重塔をはじめ、樹齢約2000年、幹周り8mの「白鷺の楠」といわれる巨木(県の天然記念物)があります。

 

勝運の道を開いたという少童命(わだつみのみこと)を祀ることから、戦国時代の筑後国柳川城主、蒲池鑑盛(かまち あきもり)が厚く信仰し、現在の本殿を再建されました。

 

 

続きを読む

「天神」の由来となった水鏡天満宮

水鏡天満宮(すいきょうてんまんぐう)は、福岡県福岡市中央区天神一丁目15番4号に位置する神社です。

旧社格は村社となっています。

 

水鏡天満宮の御祭神である菅原道真公は、京都より大宰府に左遷される道中で博多に到着した際、今泉にある四十川(現在の薬院新川)の水面に自分の姿を映し、水面に映る自身のやつれた姿をみて嘆き悲しんだとされ、これにちなんで庄村(現在の中央区今泉)に社殿が建造され「水鏡天神(すいきょうてんじん)」「容見天神(すがたみてんじん)」と呼ばれました。

 

江戸時代初期の慶長17年(1612年)福岡藩初代藩主黒田長政によって「水鏡天満宮」として福岡城の鬼門にあたる現在の地に移転されました。ちなみに、福岡市中央区の繁華街である「天神」の地名は、この天満宮のご祭神である天神さま(菅原道真公)に由来しています。

 

続きを読む