新元号「令和」ゆかりの地 太宰府

新元号「令和」について

平成31年4月1日、日本政府は新たな元号を「令和(れいわ)」と決定しました。

天皇陛下即位に遇わせ5月1日から使用される「令和」は、645年の「大化」から数えて248番目の元号となります。

 

「令和」の典拠は、1200年余り前に編纂された日本最古の歌集『万葉集(よろずのことのはあつめ)』に収められた「梅花の歌三十二首 序文」にある

 

初春の令月にして(しょしゅんのれいげつにして)、

気淑く風和ぎ(きよく かぜやわらぎ)、

梅は鏡前の粉を披き(うめは きょうぜんのこをひらき)、

蘭は珮後の香を薫ず(らんは はいごのこうをくんず)。

 

の文言を引用したもので、「人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つ」という意味が込められた元号となっております。

 

太宰府市のコメント(要約)

4月1日に発表があり、新元号が「令和」と決まりました。その典拠は役300年前に、ここ太宰府の地で行われた「梅花の宴」を記した、『万葉集』「梅花の歌」32首の序文にあることが発表されたところです。このことは、新しい御代の始まりの慶びに加えて、太宰府市にとって大変光栄なことであり、地元市民をあげて喜んでおります。この「梅花の宴」を主催したのは、万葉集の撰者・大伴家持の父であり、大納言も歴任した、奈良時代はじめの政治家として有名な大伴旅人です。彼は、神亀四(727)年頃、大宰府の長官(大宰帥)として赴任し、天平二(730)年正月十三日に、大宰府の役所が管轄した西海道の官人たちを、自ら住まう邸宅に招き、この宴を開きました。新しい御代が、「令月」の如く清新で「和(やわらぐ)」時代となることを祈念致します。