水天宮の参道を歩いていきますと、右側に見えてくるのが真木神社(まきじんじゃ)です。
真木神社に祀られているのは、ここ水天宮の22代の宮司でもあった真木和泉守こと真木保臣をはじめ、一門及び門下生です。
久留米藩は21万石。黒田藩(福岡)と肥前(佐賀)、肥後(熊本)に挟まれた位置ですが、幕末は尊王攘夷思想でした。 水戸藩の天保学の影響を受けた水天宮の宮司、真木和泉がこの久留米藩の倒幕思想の精神的支柱でした。
彼が後世にその名を残すことになったのは、「蛤御門の変」です。
長州藩の久坂玄瑞たちと共に、久留米藩の有志たちをひきつれて京の都に進軍しました。
しかし、事破れて天王山で自刃します。
真木神社の隣には山梔窩(さんしか)という古民家があります。
この山梔窩(さんしか)は、久留米藩改革の際、眞木和泉守が久留米 藩より水田村(現在の筑後市水田)の弟 大鳥居信臣のもとに謹慎を命ぜられ、付近の子弟の教育にあたり、尊皇・倒幕の 策源地ともなりました。
この建物は資料により当時のものを模して建てられたもので、実際の建物は県指定文化財として水田に現存しています。
眞木和泉守の銅像
初代は大正4年建立も戦時中に供出し、 昭和43年に没後100年を記念して再 建されました。
久留米出身の豊田勝秋作
その後、元治元(1864)年、禁門の変(蛤御門の変)に参戦し、敗れて京都の天王山で同志16名とともに自刃しました。享年52歳でした。
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