先日、数年ぶりに英彦山の登山に行ってまいりました。
英彦山神宮には午前11時頃に到着。その後、正午に上宮を目指して登山を開始しました。
英彦山の山頂から中腹までには、上宮・中宮・下宮・奉幣殿が鎮座しています。
特に奉幣殿は細川忠興公の寄進によるもので、国宝に指定されており、近くには、高住・玉屋各神社、銅の鳥居などが杉木立の中に点在しています。
奉幣殿から1km位はひたすら急な勾配の階段を上がっていきます。
息が切れてしまうので、5分おき位に休憩をしながら、登っていきます。
登山を開始してoo時間後、産霊神社に到着しました。
標高は1200m。とても厳かな雰囲気があり、気が引き締まります。
産霊神社で、般若心経を唱え、上宮へ向かいます。
産霊神社(行者堂)
御祭神
高皇産霊神(たかみむすびのかみ)
玉依姫(たまよりひめ)
熊野久須毘命(くまのくすびのみこと)
文武天皇の時代、往古高皇産霊尊鎮座の窮地であるという神託があり、聖武天皇、天平十二年頼願によって建立されたと伝えられている。石だたみは、ご護摩壇の跡であり、修験道時代は役行者の木像が安置されていました。
産霊神社からは、上宮まで、写真のように整備された階段の参道となっています。
この時点ですでに足腰に疲労が出ていましたが、上宮までもう少しと自分に言い聞かせ、一歩一歩着実に登っていきます。
登山を開始して1時間20分後、ようやく中岳山頂に鎮座する上宮の御本社に到着しました。
御本社の扉は閉まっておりますが、手動で開けて中でお参りすることができます。
厳しい環境による傷みがありますが、それでも立派なお社です。
自分の足でしか来れない場所で眺める景色と風に、神秘を感じました。
上宮の御本社は、神武天皇が御東征の時、天村雲命(あめのむらくものみこと)を遣わされて祀られたと伝えられていますが、社殿ができたのは、崇神天皇41年と言われてます。
現在の社殿は天保13年(1842年)に、肥前藩主鍋島斉正によって奉建されたものです。
登山の間はほとんど曇り空でしたが、時折、晴れ間が広がり、このように清々しい風景を拝することができました。
まさに、これぞ命の洗濯です。また是非チャレンジしたいと思います。
英彦山神宮 上宮(〒824-0721 福岡県田川郡添田町大字英彦山1)
御由緒
英彦山は、古来から神の山として信仰されていた霊山で、御祭神が天照大神(伊勢神宮)の御子、天忍穂耳命であることから「日の子の山」即ち「日子山」と呼ばれていました。
嵯峨天皇の弘仁10年(819年)詔(みことのり)によって「日子」の2文字を「彦」に改められ、次いで、霊元法皇、享保14年(1729年)には、院宣により「英」の1字を賜り「英彦山(ひこさん)」と改称され現在に至ってます。
英彦山は、中世以降、神の信仰に仏教が習合され、修験道の道場「英彦山権現様」として栄えましたが、明治維新の神仏分離令により英彦山神社となり、昭和50年6月24日、天皇陛下のお許しを得て、戦後、全国第三番目の「神宮」に改称され、英彦山神宮になっています。