旭川天満宮は、学問、芸術、文化の神様として崇敬される菅原道真公をお祀りする神社です。昭和41年7月17日に太宰府天満宮の西高辻信貞宮司参向のもと同宮よりご分霊を勧請し、上川神社境内社・旭川天満宮として鎮座しました。
この社殿をはじめ基礎、玉垣、鳥居、社号標等々、御鎮座に要した費用の全ては市内の故福多仲蔵氏が、80歳の長寿の神恩感謝と旭川全市の学生生徒を元気づけ学業達成、念願成就をかなえさせたいとの思いから奉納されたものです。
境内には史蹟「上川離宮予定地」がございます。
明治22年12月28日、この神楽岡の地に離宮を建てることが内閣で決定し、この一帯は世伝御料地となりました。明治44年には皇太子であった大正天皇が神楽岡に行啓せられ開拓が進む上川地方をご覧になられました。
大正9年には上川神社の境内地としてこの神楽岡を借り、同10年世伝御料地解除、同13年にはこの地に神社を移遷し、神社の借地は神域として編入されました。これらの事蹟を記して後世に伝えるためとして、市民によって昭和8年この神楽岡碑が建てられました。題額は宮内大臣一木喜徳郎、撰文は北海道庁長官池田秀雄、碑文は上川神社社司柴田直胤の揮毫で高さ3、95メートル、幅1、51メートル、幅30センチ、歌碑は永山武四郎の嗣子男爵永山武敏氏の揮毫により、永山将軍の
「上川の清き流れに身をそそぎ、神楽の岡に幸行仰がん」
の和歌と建碑賛同者の氏名が刻まれて神楽岡碑左後方に建立されています。
旭川天満宮(あさひかわてんまんぐう)
〒078-8327 北海道旭川市神楽岡公園2