神道の立場から見た「同性愛」・「LGBT」

先日、全米で同性婚が認められる判決が出たというニュースが流れました。

 

現在、アメリカを始め、ヨーロッパ、台湾などの多くの国で同性同士の結婚が認められています。

 

このことに関して、ブログを見られた読者の方から 、「神道の観点から同性愛はどう捉えればいいのですか?」という質問をいただきました。ありがとうございます。

 

神道の立場から同性愛をどう捉えればいいのでしょうか?

 

私はこの同性愛という言葉を完全には理解しきれていませんので、独断と偏見が入ってしまいますが、現代を生きる私たちにとって重要なことは、人が人を愛するということだと思います。その形が、異性相手の場合でも同性相手の場合でも、人が人として人を愛しているわけですから、問題はないと思います。

 

もともと、「ゲイ」や「同性愛」・「LGBT」という言葉が日本に入ってくる前から、 日本には一部に男色の文化はありましたし、女性や男性の生殖器を崇拝した神社も日本各地にありますので、日本人はもともと社会的に、性そのものに対して、寛容であり、寛大であったのだと思います。

 

私としては、後はそれぞれの好みの問題でどちらにしても大差はないとは思います。