誰しもが
宇宙の
神の
法則により
生き死にを
くりかえす
時間の流れがあるようで
まるでない
はるか彼方
遠い昔
前世の頃に見た
朝日の輝きを
自然の営みを
夕暮れの移ろいを
今日も見て
祈り感謝する
くりかえす転生の中で
どれだけあなたの輝きに
近づけるのだろう
幸せを感じる場所
すべてが繋がっていて
すべてが一つであることに
気付くことが出来る場所
喜びや悲しみ、苛立ち、信念、
それらを超えたところに感謝がある
海ならず
たたへる水の底までも
清き心は月ぞ照らさむ
菅公御神詠
今日も朝日に照らされて
新しい一日が始まる
今日も夕日に照らされて
一日の行いを省みる
やりきれない気持ちで終わる一日
満たされた気持ちで終わる一日
この身体では
到底計り知れない
地球を
宇宙を
心で感じ
魂でつながる
僕の使命は、人を癒すことだと思う
単純なことだけど、純粋な気持ちだ
僕は他人より優れた人間だと思ったことなんてない
ただ、普通の人より変わった人間だとは思う
他人とは違うことをしているという自覚があるから
意識は自らを創造という形で表現する
踊っていると私は神聖なものに触れられたように感じる
そういう時には、魂が舞い上がり、全存在と一体になるのを感じる
私は星になり月になる
愛する人と愛される人になる
歌い手と歌になる...私は踊り続ける
それは創造という名の永遠の踊り
創造主と創造が、一つの大きな喜びの中に合体する
私はただ踊って、踊って、踊り続ける。踊りしかなくなるまで
僕らはみんな幼少期の産物なんだ
時が熱狂と偏見とをやわらげた暁には、
また理性が虚偽からその仮面を剥ぎとった暁には、
そのときこそ正義の女神は
その秤を平衡に保ちながら
過去の賞罰の多くに
そのところを変えることを要求するであろう
日本が戦争に踏み切ったのは侵略のためでなく、
独断的な現状維持政策をとる西洋諸国によって挑発されたためであり、
東京裁判は”正義の実現ではなく勝利者による復讐”である
ラダビノード・パール 東京裁判に際して
激動し 変転する歴史の流れの中に
道一筋につらなる幾多の人達が
万斛の想いを抱いて死んでいった
しかし
大地深く打ちこまれた
悲願は消えない
抑圧されたアジア解放のため
その厳粛なる誓いに
いのち捧げた魂の上に幸あれ
ああ 真理よ!
あなたはわが心の中にある
その啓示に従って われは進む
1952年11月5日 ラダビノード・パール
諸法無我
自分というものが存在しているわけではない
自分というのは、歴史、社会、家族、そういったものの中で
周囲を映す鏡のように反射してできている
努力するものは希望を語り、
怠けるものは不満を語る。
与えた恩は水に流し
受けた恩は石に刻む
天に光さえあれば他に何もいらない
そんな風に生きていきたい
人生に
無駄な経験など
何一つとして
存在しない
すべての存在は
無くなることを
前提としている
時満ちて
道開く
神社とは神さまの霊魂が宿る、神さまの住居だといえますが、
私達の身体もまた、神聖な霊魂が宿る神殿のようなものです。
自らの身体をいたわる様に、神さまのことを想い、
接して頂く事が神道に通じる道であると信じております。
日常の生活の中で起こる様々な喜怒哀楽の出来事を、
神様にご報告されましたら、
万事正しき方向に導いて下さることと信じております。
汝、己を知れば
百戦危うからず
実に優美に生きる野生の動物たち
空を飛ぶ鳥たちは明日のことを迷い煩うことはありません。
人は「自然」に近づくほど健康になり、
「自然」から遠のくほど病気になります。
「自然に生きる」野生の動物たちから学ぶべきことは沢山あります。
自分のことだけを考える、それは不幸の始まりです。
相手のことを考え、喜んでもらえた時、自分も幸福になります。
手を合わせる姿は神々しい。
朝日の昇る時間、食事の時間、一日の終わりの時間、
感謝の気持ちを伝えたい時に心を込めて手を合わせてみよう。