ドイツ人捕虜 高良台収容所跡

明治44年、東林寺天満宮の周辺は、陸軍の演習に来た部隊が宿泊する兵舎が作られました。


ここに第一次世界大戦(大正3~7年)、ドイツ軍捕虜296名が連れてこられ、高良台兵舎に収容されました。

 

写真は大正4年(1915)1月27日に久留米収容所で撮られたものです。

 

収容所では捕虜によるさまざまな文化活動が行われました。収容所当局から捕虜に強制されたことは、朝と晩に各1回行われる点呼のみでした。それ以外は捕虜に自由活動が許され、ある捕虜は日記の中で、「収容所での最大の敵は退屈であった」と記しています。

 

ドイツ軍捕虜は終戦までの約四年間、町内一帯で生活しており、順次帰国していきましたが、約20名が日本居住を希望し、11名は収容所内で死亡しております。